いわのふみやの商用フリーイラスト集

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政治

商用フリーにがおえ「西郷隆盛」

現在の鹿児島県出身の政治家。尊王攘夷運動に奔走し、戊辰戦争では大総督参謀として活躍した。新政府においては、参議・陸軍大将となる。1877年に西南戦争を起こすも敗れ、自害する。

商用フリーにがおえ「小早川秀秋」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士。北政所の甥であるため、関ヶ原の戦いでは仕方なく西軍に付く。しかし以前から恨んでいた石田三成を裏切り、東軍に寝返ったことで一気に形成が変わり、結果として東軍勝利の立役者となってしまう。戦いの2年後に21歳という…

商用フリーにがおえ「井伊直政」

遠江国(現在の静岡県)出身の武士。赤い甲冑に身を包み、長槍で敵の陣形を崩す突き掛かり戦法を行うことで、「井伊の赤鬼」と恐れられた。関ヶ原の戦いでは東軍に付く。

商用フリーにがおえ「島津義弘」

薩摩国(現在の鹿児島県)出身の武士。慶長の役では3万の敵兵に対して7千の寡兵で撃破し、朝鮮では「鬼島津」の異名で恐れられた。関ヶ原の戦いでは西軍に付き、敗戦が濃厚になると東軍の中央を突破するという「島津の退き口」を行い、戦場を脱する。

商用フリーにがおえ「細川忠興」

京都出身の武士。関ヶ原の戦いでは東軍に付き、岐阜城を攻略するなど戦果を挙げるが、妻・ガラシャが自害するという悲劇もあった。晩年は茶の湯を楽しみ、利休七哲のひとりに数えられている。

商用フリーにがおえ「大谷吉継」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士(諸説あり)。打倒家康に燃える石田三成に考え直すよう何度も忠告するが、思いとどまらせることはできなかった。関ケ原の戦いでは、負けると解っていながらも、盟友である三成に付き、重病でありながらも戦場に出るも、寝…

商用フリーにがおえ「加藤清正」

尾張国(現在の愛知県)出身の武士。賤ケ岳の戦いでは「七本槍」のひとりに数えられた猛将。その一方で築城の名手でもあり、現在の姿の熊本城を築いたことで知られる。関ヶ原の戦いでは東軍に付く。

商用フリーにがおえ「宇喜多秀家」

備前国(現在の岡山県)出身の武士。豊臣秀吉に仕え、最年少の26歳で五大老に任ぜられる。秀吉への忠誠心から関ヶ原の戦いでは西軍に付き、福島正則軍と激しい攻防を繰り広げる。敗戦後は死罪は免れたものの八丈島に流罪となり、そこで残り約50年の人生を過…

商用フリーにがおえ「福島正則」

尾張国(現在の愛知県)出身の武士。幼いころから秀吉に仕え、賤ケ岳の戦いでは七本槍の筆頭に挙げられるほどの活躍を見せる。関ケ原の戦いでは東軍に付き、先陣を切って序盤から宇喜多軍と乱戦を繰り広げた。江戸時代には、広島城を勝手に改築したとして大…

商用フリーにがおえ「島左近」

戦国時代の武士。生い立ちなどは謎が多い。石田三成から破格の待遇により仕えることとなる。関ケ原の戦いでは自ら先陣を切り、黒田長政の隊に正面から激突する。だが鉄砲隊にやられ、その後の消息は不明

商用フリーにがおえ「黒田長政」

播磨国(現在の兵庫県)出身の武士。黒田如水(官兵衛)の長男。朝鮮出兵の際に、石田三成と対立する。関ケ原の戦いの際には事前の根回しを行って東軍に有利な状況を作り上げ、実戦でも最前線で猛威を振るった。ちなみに「福岡」という地名の名付け親でもあ…

商用フリーにがおえ「石田三成」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士。幼少より豊臣秀吉に仕え、頭の切れる戦略家として信頼されていた。一方、武将としての功績は乏しく、そのため戦場で活躍してきた武将からは、その好待遇を疎まれることとなった。関ヶ原の戦いでは西軍を率いるも、人望の…

商用フリーにがおえ「徳川家康」

江戸幕府初代将軍。関ケ原の戦いでは東軍の総大将として、石田三成率いる西軍に勝利する。

商用フリーにがおえ「黒田清隆」

鹿児島県出身の政治家。戊辰戦争で官軍参謀として五稜郭を攻撃する。1888年に第2代総理大臣に就任し、大日本帝国憲法を発布するも、条約改正交渉に失敗して翌年辞職する。

商用フリーにがおえ「テオドール・ヘルツル」

オーストリア帝国(現・ハンガリー)出身のジャーナリスト。 ユダヤ人が故郷に国を興そうというシオニズム運動の指導者のひとり。

商用フリーにがおえ「チャールズ・ボイコット」

アイルランドの官僚。1879年から起きた飢饉の際、市民からなる土地改革同盟から排斥され、のちの「ボイコット」の語源となる。 この人はボイコットされた側なので注意。