いわのふみやの商用フリーイラスト集

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商用フリー似顔絵「エドガー・ドガ」

フランスの画家。一般的には、印象派とされている。元々はアングルに影響され歴史画を中心に描いていたが、ゾラとの出会いなどで現実生活の描写に転じるようになり、独自の画風を確立する。代表作に「3人の踊り子」「2人の洗濯女」など。

【商用フリー似顔絵】小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

ギリシャ生まれの作家、英文学者。1890年に来日し、英語教師となる。同年に小泉節子と結婚し、そののち日本に帰化。日本文化を研究した『知られざる日本の面影』や、小説『怪談』で知られる。

商用フリーにがおえ「西郷隆盛」

現在の鹿児島県出身の政治家。尊王攘夷運動に奔走し、戊辰戦争では大総督参謀として活躍した。新政府においては、参議・陸軍大将となる。1877年に西南戦争を起こすも敗れ、自害する。

商用フリーにがおえ「エミール・ガレ」

フランスのガラス工芸家。アールヌーボー様式を代表する芸術家で、1901年に工芸におけるナンシー派を設立した。

商用フリーにがおえ「ウィルバー・アトウォーター」

アメリカの化学者。食品のエネルギーの表示法として一般的に用いられる「アトウォーター係数」を提案した。

商用フリーにがおえ「小早川秀秋」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士。北政所の甥であるため、関ヶ原の戦いでは仕方なく西軍に付く。しかし以前から恨んでいた石田三成を裏切り、東軍に寝返ったことで一気に形成が変わり、結果として東軍勝利の立役者となってしまう。戦いの2年後に21歳という…

商用フリーにがおえ「井伊直政」

遠江国(現在の静岡県)出身の武士。赤い甲冑に身を包み、長槍で敵の陣形を崩す突き掛かり戦法を行うことで、「井伊の赤鬼」と恐れられた。関ヶ原の戦いでは東軍に付く。

商用フリーにがおえ「島津義弘」

薩摩国(現在の鹿児島県)出身の武士。慶長の役では3万の敵兵に対して7千の寡兵で撃破し、朝鮮では「鬼島津」の異名で恐れられた。関ヶ原の戦いでは西軍に付き、敗戦が濃厚になると東軍の中央を突破するという「島津の退き口」を行い、戦場を脱する。

商用フリーにがおえ「細川忠興」

京都出身の武士。関ヶ原の戦いでは東軍に付き、岐阜城を攻略するなど戦果を挙げるが、妻・ガラシャが自害するという悲劇もあった。晩年は茶の湯を楽しみ、利休七哲のひとりに数えられている。

商用フリーにがおえ「大谷吉継」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士(諸説あり)。打倒家康に燃える石田三成に考え直すよう何度も忠告するが、思いとどまらせることはできなかった。関ケ原の戦いでは、負けると解っていながらも、盟友である三成に付き、重病でありながらも戦場に出るも、寝…

商用フリーにがおえ「加藤清正」

尾張国(現在の愛知県)出身の武士。賤ケ岳の戦いでは「七本槍」のひとりに数えられた猛将。その一方で築城の名手でもあり、現在の姿の熊本城を築いたことで知られる。関ヶ原の戦いでは東軍に付く。

商用フリーにがおえ「宇喜多秀家」

備前国(現在の岡山県)出身の武士。豊臣秀吉に仕え、最年少の26歳で五大老に任ぜられる。秀吉への忠誠心から関ヶ原の戦いでは西軍に付き、福島正則軍と激しい攻防を繰り広げる。敗戦後は死罪は免れたものの八丈島に流罪となり、そこで残り約50年の人生を過…

商用フリーにがおえ「福島正則」

尾張国(現在の愛知県)出身の武士。幼いころから秀吉に仕え、賤ケ岳の戦いでは七本槍の筆頭に挙げられるほどの活躍を見せる。関ケ原の戦いでは東軍に付き、先陣を切って序盤から宇喜多軍と乱戦を繰り広げた。江戸時代には、広島城を勝手に改築したとして大…

商用フリーにがおえ「島左近」

戦国時代の武士。生い立ちなどは謎が多い。石田三成から破格の待遇により仕えることとなる。関ケ原の戦いでは自ら先陣を切り、黒田長政の隊に正面から激突する。だが鉄砲隊にやられ、その後の消息は不明

商用フリーにがおえ「黒田長政」

播磨国(現在の兵庫県)出身の武士。黒田如水(官兵衛)の長男。朝鮮出兵の際に、石田三成と対立する。関ケ原の戦いの際には事前の根回しを行って東軍に有利な状況を作り上げ、実戦でも最前線で猛威を振るった。ちなみに「福岡」という地名の名付け親でもあ…

商用フリーにがおえ「石田三成」

近江国(現在の滋賀県)出身の武士。幼少より豊臣秀吉に仕え、頭の切れる戦略家として信頼されていた。一方、武将としての功績は乏しく、そのため戦場で活躍してきた武将からは、その好待遇を疎まれることとなった。関ヶ原の戦いでは西軍を率いるも、人望の…

商用フリーにがおえ「徳川家康」

江戸幕府初代将軍。関ケ原の戦いでは東軍の総大将として、石田三成率いる西軍に勝利する。

商用フリーにがおえ「黒田清隆」

鹿児島県出身の政治家。戊辰戦争で官軍参謀として五稜郭を攻撃する。1888年に第2代総理大臣に就任し、大日本帝国憲法を発布するも、条約改正交渉に失敗して翌年辞職する。

商用フリーにがおえ「フランツ・ガル」

ドイツの医師。頭蓋骨の外形から性格や能力などを判断する「骨相学」を創始した。

商用フリーにがおえ「川上瀧彌」

山形県出身の植物学者。1897年、北海道の阿寒湖で発見した緑藻に「マリモ」と命名する。

商用フリーにがおえ「ヘンリー・モーズリー」

イギリスの物理学者。1913年に、特性X線の波長の逆数の平方根が原子核の電荷(原子番号)と直線関係にあるという「モーズリーの法則」を発見した。これにより、周期表の未発見の元素を予測することが可能になった。第一次世界大戦ではガリポリの戦いに通信担…

商用フリーにがおえ「アウグスト・ケルクホフス」

オランダの言語学者。1883年に軍事科学雑誌に発表した2つの論文により、暗号技術における「ケルクホフスの原理」を提案したことで知られる。また、人工言語ヴォラピュクの普及運動に努めた。

商用フリーにがおえ「フランツ・ルーロー」

ドイツの機械工学者。シャルロッテンブルク工科大学(現・ベルリン工科大学)の学長を務め、「運動学の父」と称される。正三角形の各辺を曲線状に膨らませた定幅曲線「ルーローの三角形」にその名を残している。

商用フリーにがおえ「フランツ・エッケルト」

ドイツの作曲家。1879年の27歳のときに音楽教師として来日。翌年、『君が代』に伴奏、和声をつけた。1897年には英照皇太后の大喪の礼のために『哀の極』(かなしみのきわみ)を作曲した。日本を離れた後は、朝鮮半島の李王朝でも音楽教師を務めている。

商用フリーにがおえ「フリードリヒ・エンゲルス」

ドイツの経済学者。親友であるカルル・マルクスとともに「科学的社会主義」(マルクス主義)を創始した。『ドイツ-イデオロギー』『共産党宣言』をマルクスと共同執筆し、マルクスの死後は遺構を整理して『資本論』の第2,3巻を刊行した。著書に『イギリス…

商用フリーにがおえ「エティエンヌ・ラスパイレス」

ドイツの経済学者。1864年に加重平均によって算出される物価指数である「ラスパイレス指数」を提唱した。

商用フリーにがおえ「伊藤左千夫」

千葉県出身の歌人、小説家。正岡子規に師事し、のちに根岸短歌会の機関誌『馬酔木(あしび)』『アララギ』の創刊に関わることで、歌壇に近代的万葉調歌風を確立する。1906年に小説『野菊の墓』を出版する。門下に斎藤茂吉、島木赤彦などがいる。

商用フリーにがおえ「ヤン・プルキンエ」

チェコの医学者。1825年に「暗いところでは赤色よりも青色のほうが強く感じる」というプルキンエ現象を発見した。これは一級建築士試験の学科でよく出題される。また、論文の中で初めて指紋による分類を行っている。

商用フリーにがおえ「エミール・コッハー」

スイスの医師。1909年に「甲状腺の生理学・病理学および外科学に関する研究」によってノーベル医学・生理学賞を受賞する。肩関節脱臼を戻す「コッヘル法」は現在でも用いられている。最初期の人工肛門手術にも成功している。また、手術に用いるコッヘル鉗子…

商用フリーにがおえ「デメトリウス・ビケラス」

ギリシャの経営者。17歳の時にロンドンに渡って叔父の会社に入社し、のちに共同経営者となる。IOC(国際オリンピック委員会)の初代会長を、1894年から1896年まで務めた。